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おれはロックンローラー
そういえば25歳くらいまで、そういう自覚があった。ミュージシャンでもシンガーソングライターでもなく、ロックンローラー。ストイックに本質を突き詰めていく生き様。それがロックンローラー。「これだ。」と思った。高校1年の夏のことだ。その頃は「俺はアンケートの職業欄にも履歴書の前歴にもロックンローラーって書くぜ。」と豪語していたが、それは未だにやったことがない。少々気弱なロックンローラー。まぁとにかく、自分はロックンローラーでありたかったわけである。

ところがどういうわけか、30歳を過ぎた今はもう自分がロックンローラーであるという自覚はない。そう、残念だが僕はもうロックンローラーではない。
理由は簡単である。ロックンローラーという状態は尋常な状態ではない。自分勝手だったり、薬やってたり、家族をないがしろにしたり、若死にしたり、とにかく不幸せ極まりない。20代前半ならまだしも、これほどまで社会不適合な人生だと、何かを得るよりも破滅が先である。だから僕は辞めた。

それがロックンローラーであるかどうかは別として、似たような理由で何かを諦めたひとは多いはずだ。しかも、こういった場合、時間と状況に説得されて意外にもすんなりと受け入れてしまうケースが多い。人間というのはとても都合よくできている。
それに「元ロックンローラー」という肩書きはそれほど居心地が悪くない。今ならアンケートに「元ロックンローラー」と書くかもしれない。昔は少しワルでした。という感じである。軌道修正を行いながらも人生は上々。そうやって前向きに生きていくのは悪いことではないと思う。

最近は明日が待ち遠しい。良い事ばかりではない。10回のうち良い事3回、悪い事7回、そんな感じだが、それでも明日は待ち遠しい。いろんなものが少しずつ変わっていく。そういうことに希望を持つようになった自分に驚きもあるが、少し嬉しいというのも本音である。小さなことに喜びを大きく感じることができるようになったのかもしれない。昔は自分が何を考えているのかまったくわからない時があったけれど、今まさにコントロールの下に、という心境である。

さて、ロックンローラーは不幸だ、と書いたけれど、実は例外もある。
ニール・ヤングと鈴木祥子。この2人はロックンロールと人間が見事にイコールでつながっていて、その間に介在する不幸がない。誰もがそうありたいのに、そうなれない所にいる人たちである。それがどういうことかは、曲を聴けばすぐわかる。
by mfls | 2004-10-11 21:39
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