最近、朝は「やじうまプラス」を観ている。
「めざまし」から「ズームイン」へそして今「やじうま」である。 地方局からの中継や企画ものがなく、その分、情報量が多いので情報を得るにはこれが一番ということなのである。 内容はというと、アナウンサーが読み上げた新聞記事に、3人の社会派コメンテータが厳しい意見を述べる、というスタイルで番組が進行していく。 とても偉そうに、とても人ごとで、なんの責任も持たないコメント。(全員じゃないけど) 専門家なわけではないから、コメントはただのおっさんの意見、なのである。 それがかなりうっとおしいのだが、それでも情報量にはかえられないので観ている。 最近は、公務員の飲酒問題が大きく取り上げられ、それに対しコメンテータだけでなく局アナも非常に厳しい意見で糾弾している。 話は確かにそのとおりなのだが、マスコミが正義の刃を振りかざすのは、ますますうっとおしい。しかし、それでもまだ毎朝観ている。情報量にはかえられない、からだ。 そんな中、先日、朝日新聞山梨支局記者の飲酒が判明した。 公務員の飲酒検挙を取材し、記事にした記者が実は、その直前に飲酒で検挙されていたのだそうだ。 これについて、系列会社としてどのように報道するのかとても興味があり、注目していたのだが、結果としては非常に残念な内容だった。 特に謝罪やコメントはなく、項目の下から二段目でアナウンサーが新聞記事どおりに読み終えると、コメンテータに意見を求めることもなく「では次のニュースです。」と進めてしまった。 テレビ朝日は朝日新聞社が33.8%の株式を保有している系列会社である。 なのに、そんなものなのである。 本人家族の追跡取材や組織の責任追及なんて当然しないだろうとは思っていたけれど、謝罪もなければコメントすらない、なんて。 別に謝罪してほしかったわけではないけれど、他をあれだけ責めといてねぇ。 やっぱりそんなものなのである。 こういう問題は、朝日だからということではないのだが、個人的には朝日新聞が大嫌いなのである。 学生時代に朝日新聞勧誘のおっさんがやくざを連れてやってきて、強引に契約させられたのだ。(クーリングオフしたが。) 直後に、朝日新聞の代表電話にかけて、そういうことはやめてほしい、と言ったのだが、 「そんなことは販売店に言ってよ。うちは関係ないんだから。」と電話を切られた。 信じられない対応でしばらく呆然としてしまった。 それから、ずっと朝日系列は大嫌いなのだ。個人的な話だけれど。 で、そんなに嫌いな「やじうまプラス」は今後観るのか、というと、それでも観るのだ。 それでも情報量は豊富だから。 いっそのこと、コメンテータなんてやめて新聞読むだけにしたらいいのに、とは思うが。 #
by mfls
| 2006-09-21 20:02
先日テレビで、県立高校の再編成について取り上げていた。
再編成というのは要するに統廃合ということで、 当然、地元、卒業生、教員の反発は強い。 マスコミは、「行政は多様な意見を取り入れるため、より議論が必要」とまとめていたが、そもそもそれ以前の問題ではないか、と思うのだが。 会場は反対論者で溢れかえり、その口からは攻撃的な反対意見しか出てこない。 寂しいから、、、伝統が引き継がれないから、、、行政のやる事はいつも間違っているから、、、もうなんでもアリな世界である。 聴衆は最初から説明者の話を必要としていない。 誰も話し合いをするためにこの会場に来ていないのだ。 勝つか負けるか。結論に至る経過は必要でないらしい。 未来の描かれない話し合いなど何の意味ももたないと思う。 寂しい。それだけの理由で生徒のいない高校を存続させてもよいのか。 存続させた学校のその後に反対した人たちは責任が持てるのか。 そういった論議はない。話し合いは存続にむけた感情論に終始する。 結局、話し合いなんてものは、形式的なもの、として開催されるだけで、 最終的には議会の決議で白黒はっきりする。 自分の投票で選んだ議員たちが議決するのだ。 そういう認識があの会場にいた人たちにあるのだろうか。疑問だった。 質の低い論議が世の中にはうんざりするほど溢れている。 世の中には反対意見を言うことを商売にしている人がたくさんいて、 そういう人たちが質を下げているのだ。 そもそも反対意見を言うなら、それに代替え案を添えるのは大人でなくても常識でしょう。 「あれはだめ、これはだめ」ではなくて。 「それよりもこうしたらどうでしょう」でしょ。 それができないで反対ばっかりしてる人、議会にもテレビにも近くの居酒屋にもたくさんいる。 それって全然カッコよくない、と思う。 #
by mfls
| 2006-09-10 18:11
夕立が降った。今日は美しい積乱雲が出ていたのだろうか、職場の窓から外を覗いたが既に一面曇り空だった。
積乱雲が好きだ。 真っ白に競り上がり恐怖すら感じるあの壮大な姿が。 残念ながら今年はまだ見ていない。 怠惰な猛暑が続いただけだ。 いつも気持ちのどこかで楽しみにしていただけに、このまま夏が終わると思うと少し残念な気がした。 そういえば中2の夏、部活帰りに夕立が降った。 傘を持たずに出かけたためずぶ濡れになって、家路を走って帰ったのだけれど、 そのとき、ずぶ濡れになって走っている自分がなぜかものすごく格好良く思えて、 その瞬間、自分の中に信じられないくらいの自信がみなぎっていた。 いま、この瞬間に好きな女の子が目の前に現れたなら、 躊躇なく告白できるのに、と。 しかし、やはり何事もなく誰に出会う事もなく家に着いた。 空回りした自信と勇気。 ただ、雨に濡れただけなのだ、と。 後でひどく悲しい気持ちになったことを覚えている。 いまだに胸の中に陰が落ちると、記憶がシンクロしてあの雨の日が蘇る。 焦りや不安が入り交じって、なんだかひどく惨めな気持ちになるのだ。 ただ、昔ほどは気持ちが追いつめられることもなくなった。 克服というよりは誤摩化しが上手になったということかもしれない。 逃れようのないプレッシャーを限られた時間の中でいくつもしのいでいくうちに、 いろんなことが気持ちで解決されずに、ただの判断で済まされてしまうようになった。 そういうことに戸惑う自分もいるが、次第にそれすら麻痺していく。 きっと矛盾を許容することで自分が判断で苦しまずにいれることを理解しそれに従うのだ。 それでいいと思っていないからこうして書いているのだろうけれど、 矛盾を受け入れずに生きていく術を知らないし、 そんなことよりも今は生活という言葉で集約されるものに振り回されるだけで精一杯なのだ。 もう少しやさしくなりたいと思うときがある。もっと感情に任せて判断してみたいと思う。 偽善でもなんでもなく、そうあることができない自分が惨めに思えるからだ。 でもそれをしないのは過去の経験がそのリスクを知っているからなのだろう。 雨が止んで雲の切れ間から突き抜けるような青空が見えると、 そこにはもう秋の気配があった。 気がつくと時間だけは残酷なほど正確に過ぎていく。 表裏もなく、矛盾もなく、誰のせいでもなく。 #
by mfls
| 2006-08-18 01:16
滋賀県知事選で「もったいない」をスローガンに掲げた知事が当選した。
大型公共事業中止を公約に民意はもとよりマスコミの評判も悪くない。 「無駄遣いをやめよう、借金を減らそう。」というのは確かにその通りだし、 選挙公約にはうってつけだ。 だが、一般家庭ならともかく都道府県会計にこの理屈が通用するのだろうか。 長野県では2000年10月に田中知事が就任して以降、5年で県債残高を923億円減らしている。 まあ、まだ1兆4千億円残っているのだけれど、これは評価に値する数字だと思う。 が、一方、改革には痛みが伴う。事実、長野県では建設土木を中心とした産業の停滞、雇用の低下、倒産の増加、個人事業者の廃業、様々な住民サービスが縮小廃止等々、新たな問題を生み出している。 そこで思うのは、都道府県の借金がゼロになったところでいったい何がどうなるというのだろう、ということだ。 国は相変わらずテキトーな予算執行で700兆円ともいわれる借金を抱え、その金額は増加しつづけている。滋賀県と長野県だけが借金をがんばって減らし、知事ががんばって公共事業を中止しても、他県から希望があれば国の負担分は他県に流れる。 国民一人あたりの国の借金が600万円、県民一人あたりの県の借金が700万円、市民ひとりあたりの市の借金が50万円。それで、県だけ減らしてもねぇ。 抜本的改革なくして改善なし。まずは国からやらなければ意味がないということだ。 現在進行中の三位一体改革によって、補助金、交付金の廃止、税源移譲が行われてはいるが、国がお金を分配するという仕組みは現在もそれほど変わっていない。 だったら都道府県をなくして国と市町村の関係にしまえばいい、という考えもあながち間違いではない。今後、道州制といって、都道府県を合併させてそこに権限を委譲し運営させるという仕組みも検討されている。がんばって借金を減らしても、道州制で合併したら他の都道府県の借金を抱えることになるかもしれない、ともいえる。 今後数十年先を見たときに、重要視すべきは国、県、地方自治体の借金などではなくて(まったく問題にしないという意味ではないが)まずは、人口減少、少子高齢化対策だと思う。人が減るから、働き手がいなから、税収不足、年金の資金不足、経済停滞等々様々な問題が発生する。これがすべて元凶であるというのに対策らしい対策が行われていない。最も緊急的な対策が必要であるのに、この問題をあまりに軽微に捉えすぎている。このままでは30年後にはすべての社会保障制度が破綻しているはずだ。 そんな中で、もったいないと叫び知事なることにどれほどの意味があるのかどうか考える必要があるのではないか。それなら国政に出るべきではないか。民意というものは森を見ていない。キャッチーなフレーズで簡単に同調するのだ。それを利用し票集めのために安易に公共事業廃止や節税を公約に掲げるというのはとても卑しいことだと思う。ワイドショーのゲストコメンテーターと同じだ。 8月には長野県知事選がある。県民は現職を評価するのか、否定するのか。 おもしろいHPを見つけた。全国都道府県の借金時計というページだ。 だから何なのだ。と個人的には思うが。 #
by mfls
| 2006-07-23 12:07
貧しい老人が増えている。
少ない年金で生活する老人たち。 年金額は年額100〜200万円。 月に家賃5万、光熱費1万、食費2万として年間96万円。 それに税金、医療費、義理などなどで生活はギリギリだろう。 年金がない時代はどうしていたんだろう、と思う。 自給自足に生活共助が自然と成り立っていた、というか当然のようにあった時代。 村八分になれば生きていけない。そんな緊張感もあったのかもしれない。 なければ、ないものとして社会の仕組みは成り立っていたのだ。 はたして、お金を配るという現在の方法がよかったのか、悪かったのか疑問にさえ思えてくる。あの日銀総裁だって公的年金受給者なのだ。 制度というのは一旦作るとバランスを保つのが難しい。 年金に限らず、至れり尽くせりの社会福祉制度。便利でありがたいけれど、頼り切ってしまうことで、生きるという緊張感を希薄なものにしてしまってはいないか、とも思う。 ましてや、少子化が進み、若年層は年金を払わない。 自分が老人になったときにもらえる金額なんて、最初の例よりもさらに酷いものかもしれない。 事態は考えてる以上に深刻だと思う。 とりあえず誰でも考えられる対策として税率を上げるが、それは応急処置。抜本的改革が必要なのにそんな面倒なことには誰も着手しない。結局、また何年か後に税率を上げなければ対応できなくなる。悪循環だ。 そもそも、どうしてこんなことになってしまったのか。 たぶん、資本主義社会は成長を止めてしまったらそれを維持することはできない、という認識の欠如が原因なんじゃないかと思う。 だれも日本経済が停滞するなんて思っていなかった、という今となっては信じられない認識の甘さ。 つまり、じゃんじゃん人口増やして、仕事増やして、経済活動活発にして、景気よくすれば、社会保障制度も問題なく維持できる、ってことかな。 そのために国民はなにをすべきか。。。 子づくりか、浪費か、それとも戦争か。 #
by mfls
| 2006-07-20 00:57
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